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    後藤新平 帝都復興計画



    1923(大正12)年9月1日土曜日、午前11時58分、相模湾北西部を震源とする
    M7.3の地震が発生し、東京をはじめとする南関東に大きな被害をもたらしました。

    東日本大震災の死者の数はまだ、明確になっていませんが、
    関西大震災と比較すると、死者の数は約10倍くらいになります。
    しかし、死傷者が増えた原因は火災によるものが大半だった
    ようです。
    資料によると約68,000人の死者が出ています。

    9月2日夜に
    ・遷都(せんと)すべからず
    ・復興費は30億円を要すべし
    ・欧米最新の都市計画を採用して、我国に相応しい新都を造営せざるべからず
    ・新都市計画実施の為めには、地主に対し断固たる態度を取らざるべからず
    の方針を打ち出しました。

    結局、復興費用は7分の1程度に削られ、志半ばで断念しましたが、
    現在残る昭和通りや靖国通りなどは後藤新平氏が打ち出した
    計画の一部です。

    後藤新平氏は大風呂敷などと言われましたが、スピードが早すぎてまわりが
    ついて行けなかったというのも事実です。

    現在に至っては、風呂敷を広げる人材すらいないのが残念です。



    後藤新平氏は亡くなられる直前に

    よく聞け、
    金を残して死ぬ者は下だ。
    仕事を残して死ぬ者は中だ。
    人を残して死ぬ者は上だ。
    よく覚えておけ

    という名言を残しています。
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    [ 2011年05月22日 14:07 ] カテゴリ:東日本大震災 | TB(0) | CM(0)
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