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    数覚



    数覚(すうかく)。
    日本初の小平邦彦さんは数学的直感を「数覚」と呼んだのが始まり
    のようです。
    要するに、シックスセンスです。
    小平さんは
    「数学を理解するということは、実在する数学的現象を見ることである。
     見るとというのは数覚によって知覚することである。それは、一般の
     人には見えないし、言葉では表せません。」
    と言っています。

    すなわち本当の数学というのはセンスが無いと理解できません。ということです。
    まさにその通りだと思います。

    森重文さん(フィールズ賞受賞者)は授賞の際に
    「私の研究を本当に理解してくれるのは、世界で10人程度でしょうか・・・」
    と言っています。

    これも、おごりではなく、真実でしょう。

    なぜなら数学者と言っても分野が異なれば言葉も記号も違うのだから同じことを
    研究している人意外は簡単に理解できるものでは無いからです。
    日常英語などとは異なり、観念を理解するために数覚が必要になるのです。

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    [ 2011年01月26日 22:23 ] カテゴリ:数学 | TB(0) | CM(1)
    数年前にあった数覚の本は数の認識に関するもので、高等数学にかんしては皆無で失望した記憶がある。せいぜい中学1年レベルの初等代数があったぐらいだったような。こういうことは誰もやらんのだろうかとか思うた。

    で、結論からいうと離散的な自然数の感覚と連続的な量の感覚というのは違うらしいのね。教育問題はあまり知らんが、遠山啓も量の理論とかシェーマとか水道方式とかで、大学レベルや岩波新書とかなら彼の著作もいくらかよんだが、そういう考え結構とりいれてたね。だから認識科学的にも無駄じゃなかったが、当時の科学では実証できなかったわけだな。ここらの学際領域の研究も誰かやってほしいしもしかしたら誰かやってんのかもしれないが、そういう期待もこめてコメントでも残しとくかな。

    小平はこのことで具象数学しか理解できなかっとかフランス学派に叩かれてるのもみたが、でもデュドネも空故な数学と意味ある数学とかでそこらの弁別はわきまえてたっぽい。岡潔も抽象数学に抵抗していたが、当時はデュドネの線形代数の本にみられるように全盛期で具体例を抹殺せよ的な風潮だったからねえ。まだまだこの時代の歴史的評価は早いのだろうか、20世紀後半の数学史はほとんどろくな文献がない。肥大化しすぎて狭い専門家しかいなくなっちゃったからねえ。ガウスやオイラーなどはでてこれないのか。そもそも勉強するだけで数百年、数千年はかかるので、先に医学部にいって不老不死の研究でもしないと現代数学を極めるのは難しいかも。

    しかしいざ純粋数学でブログを漁っても記事が皆無で困る。
    [ 2013/03/31 16:20 ] [ 編集 ]
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