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    浅田匡子さんが死去



    浅田真央選手の母である浅田匡子さんが
    9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したと
    マネジメント会社が発表。48歳。

    浅田選手は出場予定だったGPファイナルを欠場し、
    開催地のカナダ・ケベックからこの日夕方に緊急帰国したが、
    最愛の母の最期をみとることはできなかった。
    通夜、告別式は近親者のみで行うという。

    浅田匡子さんは以前から内臓疾患を抱え、入退院を繰り返していた。
    容体が8日に急変。現地時間の8日早朝に日本から連絡が入り、
    浅田はGPファイナルを欠場し、佐藤信夫コーチとともにカナダから
    緊急帰。
    マネジメント会社によると、匡子さんが肝硬変で死去したのは9日早朝。
    浅田が日本に向かっている最中だった。

    午後4時半頃、成田空港に到着した浅田は周囲に憔悴した表情を
    見せたくなかったのか、黒のニット帽を目深にかぶり大きなマスクをして
    足早に歩を進めた。
    「日本の皆さんが心配していますが」との問いかけには、無言で一礼。
    国内線を乗り継ぎ中部国際空港に到着したのは午後7時すぎ。
    人目を避けるように一般出口と違う出口から姿を消した。

    浅田選手にとって、匡子さんは唯一無二の大切な存在。
    小さな頃からスケート一色の自分を、全力でサポートしてくれた。
    体調を崩すまでは、毎日のようにスケート場へ車で送迎。
    練習環境に恵まれなかった時は、各地のリンクを5カ所も転々とし、
    移動の間に仮眠できるように車内には布団を積んだ。そんな支えを受け、
    浅田は常に恩返しの思いを込めて滑った。
    小学2年の時、匡子さんが体調を崩して入院すると手紙を渡した。
    「早く良くなってね。真央はスケートを頑張るから」。
    その手紙はずっと、匡子さんの宝物だった。
    銀メダルを獲得した10年バンクーバー五輪では「誰にメダルを見せたいか」
    と問われると「お母さんです」と即答。
    それでも金メダルを逃し、泣き続けていた浅田には
    「応援してくれた方々がいる。いつまでも泣いていては駄目」と諭したという。

    浅田真央選手の父、敏治さんが10日、マネジメント会社を通じ
    「(姉の)舞も真央も、母のやすらかに眠っているような顔を見て、
    やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、
    今は気丈にしています」とのコメントを発表した。

     敏治さんが喪主を務める葬儀・告別式は生前からの故人の強い希望で、
    家族だけで執り行うという。敏治さんは
    「今後とも娘たちを温かく見守っていただけますようお願いいたします」
    としている。


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    [ 2011年12月10日 08:28 ] カテゴリ:その他 | TB(0) | CM(0)
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